『コトバはコトバであって、魂なんてない』っていう人もいますが、
私はそうは思わないのです。
まだコトバが無かったころ人は動きや、表情、カラダから出す音、道具等で気持ちを表現してきました。
でも、なかなか多くの人に同じ気持ちを伝えたくても受け取る人や環境が違うと、上手く伝わらない。
でも伝えたい。
わかり合いたい。
そんな強くて切実な『想い』がコトバという、共通のものを作り出しました。
人の魂の叫びのようなおもいがこもったものが、コトバであると私はおもっています。
たしかにきいていて、たまに『魂の無いコトバ』と感じるものはあります。
それは発する人のなかに魂が無いから、ただの道具としての、むなしいオトもしくは表記としてのコトバだけが響いているのではないでしょうか。
言葉自体には美しい魂が宿っているのに。
『言霊』
『ありがとう』には心からの感謝の気持ちで。
『気を付けて』にはどうか無事でありますようにと祈りを込めて。
『愛しています』にはあなたの全てを受け入れるという想い、その人の幸せを祈る気持ちで。
『ごめんなさい』には本当に嫌な思いをさせて申し訳なかったと言う気持ちで。
あたりまえの事ですが、でもあたりまえに出来ていない事かもしれません。
もういちど、わたしも自分の気持ちを言葉にのせる時に内観しようと思います。
言霊をそれに恥じないように、美しくつかえる気持ちをもちたいとおもいます。
意識せずにも自然に出来る事が本物ですね。
まだまだ修行せねば、です。
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